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日本と似た国旗の国パラオ、親日の理由はなぜ

      2016/07/15

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パラオ,親日,理由
 

パラオってどこにあるの?

 

パラオ,親日

                  Google Mapより引用

パラオ共和国はミクロネシアにある島国で日本から約3600キロ南にあります。

 

南北およそ640キロに渡る大小300程の島々から成り、人口は2万人程です。

 

年間の平均気温は約28度の常夏の島でもあり日本との時差はありません。

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パラオの歴史

 

・スペインの植民地

 

16世紀頃からミクロネシア諸島にもヨーロッパ人が訪れるようになりスペイン人、ポルトガル人、イギリス人がやってくるようになり、パラオも1885年にスペインの植民地に入った。

 

・ドイツの植民地

 

1899年に国力が衰退化を始めたスペインは450万ドルでドイツに売却。それ以降パラオはドイツの植民地となったが、道路や水道などの設備や現地人の教育はほとんど行われてはいなかった。

 

・日本が統治した歴史

 

1914年第一次世界大戦が始まるとイギリスやアメリカなどと同じ連合の一国であり、ドイツに宣戦布告をした日本が海軍を派遣しドイツの守備隊を降伏させこれを占領した。

 

日本は殖産興業に力を入れ、特に教育にも熱心であり、現地人の住環境設備とともに多数の学校や病院を建設した。

 

日本のこうした一連の施策はパラオに多くの経済発展をもたらしまた、人口も2万人から5万にへと激増していった。

 

こういった背景もパラオが親日の理由の要因の1つとされている。

 

パラオ,海
 

・アメリカが統治した歴史

 

アメリカにとってのパラオは軍事基地の一つにしか過ぎなかった。

 



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その統治方針は戦前の日本の記憶の一掃であり、日本が築いた町並み、産業基盤は徹底的に破壊され農地は元のジャングルと化していった。

 

アメリカは反日教育によりパラオ人を洗脳しようとしたが、パラオ人の間にはこの反日の精神は全く浸透しなかったと言われている。

 

親日国家パラオの今でも語られている逸話

 

日本統治時代には日本人の誠実さや勤勉さに触れてきていたパラオの人々は共に戦うと志願してきた人々までいたという。

 

第二次世界大戦中パラオのペリリュー島は日米の戦闘の舞台となり日本軍の数百倍の兵器と圧倒的な数の兵士を送り込んできた。

 

この時の現地のパラオの人々と日本兵士との心の絆を結ぶ出来事があり今でもパラオの人々に語られている逸話があります。

 

アメリカ軍が乗り込んで来るとわかった時にパラオの代表者数名が大佐を訪ね「自分たちも死ぬ覚悟は出来ているから日本兵と一緒にアメリカと戦わせて欲しい」と言ってきたのです。

 

ところが中川大佐は「誇り高き帝国軍人が貴様ら土人なんぞと共に戦うことができるか!出て行け!」と叫びました。

 

その言葉を聞いて島民たちは日本人は心の友だと思っていたのに本心では見下していたのだと裏切られたという悔しい思いだったそうです。

 

そしてペリリュー島のパラオ人たちは全員船に乗せられ疎開させられることとなり船に乗り込む時になっても日本軍の兵士は誰ひとり見送りには来なかった。

 

ところが船が岸から離れた途端日本兵の全員が砂浜に走って出てきて皆で手を振りながら島民と一緒に歌った日本の歌を歌いだしたのです。

 

島民たちはこの時やっと自分たちを殺させないためにわざと言ったのだと悟りパラオの人たちは号泣したのです。

 

こうして現地のパラオの人たちは誰ひとりこの島で死ぬことはありませんでした。

 

そして終戦となりパラオの人たちが島に戻ってきた時その光景はあまりにも悲惨でした。

 

アメリカ兵は手厚く葬られているというのに日本兵の亡骸はそのままであったためパラオの人たちの手により丁寧にそして墓地に葬られました。

 

パラオ,国旗
 

このような歴史が現在の親日国家に繋がっているのでしょう。

 

パラオの国旗は日本と似ているのは何故?

 

パラオ
 

パラオの国旗のデザインは国民投票で選ばれました。

 

青い海原に満月の国旗です。

 

日本の国に敬意を表し、日本国旗が太陽ならパラオの国旗は月を表したもので、この月も中心より少しずれた位置に描かれています。

 

この月が真ん中にあると日本の日の丸に似すぎてしまうために畏れ多いとのことで少し左に寄せたと言われています。

 

パラオの言葉には

 

今でも日本語に親しみを持ち、子供の名前にも日本風の名前を付ける人も多いとされています。「タロウ」「ハナコ」「さん」が入った「カトウサン」まで。

 

現代パラオ語にも「大丈夫」「お客」「電気」「選挙」などなど。

 

日本語由来の現地語もあり「センプウキ」「デンワ」ブラジャーが「チチバンド」とも言われています。

 

楽園のイメージパラオ

 

わずか数十年前は激動の島でもあったパラオが今やグアム・サイパンと並ぶミクロネシアの人気リゾートとして知られるようになりました。

 



青く透き通る海と空、そして熱帯雨林の緑はまさに「熱帯の楽園」イメージそのものになっています。

 

親日家でもあるパラオに是非とも足を運んでみたいものです。

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