福岡小郡市七夕神社 ロマンチックな由来があった!?
2018/08/02
福岡にある七夕神社
織姫と彦星の年に1回ひそかに二人が会う機会。
七夕は、私たちが小さいころからロマンチックな昔話として、誰もが知っているお話ですよね。
これからご紹介する福岡県小郡市には、七夕神社と言って、織姫をお祀(まつ)りしている神社があります。
誰もが知っている七夕のお話の起源はどんなお話なんでしょう。
七夕神社では一体どんなことが行われているのか!?
早速ご紹介していきましょう。
はじまりはじまり~。
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七夕神社がある福岡県小郡市
七夕神社のある福岡県小郡市は、福岡市の南、九州自動車道鳥栖インターチェンジ下車、約22分の距離です。
西鉄電車天神大牟田線では、福岡天神駅より急行34分、普通電車では50分で小郡駅に到着します。
七夕神社は、小郡駅から南東に800mのところにあります。
七夕神社の由来
七夕神社の正式な名前は、媛社神社(ひめこそじんじゃ)といいます。
起源730年ごろ、というので、奈良では平城京ができたころですね。
肥前風土記に神社の記述が出てきます。
祀られているのは、媛社神(ひめこそのかみ)と織姫神(おりひめのかみ)とされています。
当時この地方が朝廷に献上する品物が、米と織物ということで、この地方ではその頃から織物が大変盛んだったことがわかります。
神社の起源は、昔、姫社(今の鳥栖市姫方町付近)に悪い神がいて、旅する人を多く殺していました。
土地の人が困って占ったところ、珂是古(かぜこ)という人に神の社(やしろ)を祀らせるといい、珂是古を招きました。
そこで珂是古は幡(はた)を揚げ、その神がいる所に落ちるようにご祈祷(きとう)して幡を飛ばしました。
幡は風に乗って飛んでいき、御原の群の姫社(ひめこそ)の社に落ちました。
その旗が落ちた姫社の社が、現在の媛社神社(七夕神社)の起源です。
七夕物語
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七夕神社を語るには物語を内容を把握しておきましょう。
天帝の娘だった織姫は、一日中機を織るとても働き者な娘でした。
天帝:天にいる万物を支配する神
天帝は働き者の娘の婿を探すうちに、牛飼いの彦星に目をつけます。
彦星も大層な働き者で、休む間もなく牛の世話をする若者です。
二人は結婚すると、とても仲の良い夫婦になりましたが、今度は遊んでばかりで仕事には目もくれません。
いつまでも仕事をしない二人に怒った天帝は、二人を天の川をはさんで引き離してしまいます。
天の川が邪魔をして、二人は相手の姿を見ることもできず、泣いてばかりいました。
さすがの天帝も困り、「お前たちが一生懸命働くならば1年に1度逢わせてやろう。」
そうして二人は心を入れ替えて、7月7日に会えることを楽しみにして、仕事に勤しむようなったというお話です。
七夕神社だけに
さて、媛社神社(ひめこそじんじゃ)が織姫を祀る神社だったら、彦星は?
天の川は?という疑問が当然わき起こりますよね。
実は、媛社神社の近くに宝満川という川があって、それを渡るとちょうど媛社神社の対岸に老松神社(おいまつじんじゃ)があります。
牽牛(彦星のことですよ)社は大正12年に老松神社に合祀されました。
天の川と同じように宝満川は南北に流れています。
宝満川をはさんで、媛社神社と老松神社があるなんて、まさしく!七夕そのものという感じですね。
七夕神社でのイベント
七夕神社では8月7に夏祭りを実施します。
この日は早朝から獅子追いが氏子の家と、小学1年生になった子供いる家庭を訪問します。
その日は里芋の葉っぱについた露で墨をすり、「天の川」や「おりひめ」などと書いて床の間に飾る風習があります。
社殿の中には木像の織姫像と、父親である天帝の像が安置されています。
普段見ることはできませんが、祭りの日には拝見することができます。
近頃では、全国から七夕で書かれた短冊が送られて、神社では願い事の御祈願や短冊を神前に供えて、皆さんの願い事成就をお祈りしています。
相思相愛過ぎて別れ別れになってしまった織姫と彦星。
一生懸命お仕事したら年に一度逢わせてあげよう、という天帝との約束の日。
願いを胸に仕事に勤しみ、年に一度会えるその日を心待ちにする織姫と彦星。
そんなことに思いをはせながら、福岡県小郡市の七夕神社周辺を散策するのもいいのではないでしょうか。